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2026.10.31Information

『The country formerly known as Japan ―かつて日本として知られていた国』

2015年より音楽監督を務めている「SEEDS Conference」

多彩な分野から研究者をお招きするカンファレンス・イベントです

2026年度は、いささか挑発的なタイトルを掲げたサウンド・オペラ『The country formerly known as Japan ―かつて日本として知られていた国』を披露

四部構成の組曲で、共演には宮内庁式部職楽部楽師・山田文彦先生をフィーチャーしました

日本の伝統音楽と強いつながりを持つ音楽家二人の視点で、いま一度投げかける問い

パンフレットに掲載されたプロットを、記録として下記に転載します

『The country formerly known as Japan ―かつて日本として知られていた国』
 Produced by KOHKI feat.山田文彦

The country formerly known as Japan
 ―かつて日本として知られていた国
 今はもう、そうではない国?

《亡国のボレロ》の足音に怯えながら、ある雅楽師がつぶやく。
“もし日本という国が存在するとしたら、それは古事記から昭和20年までである”

81年前に張り替えた白い障子越しに、真っ赤な球体が転がり堕ちるのが見える。
《リンゴは木から落ちる》
何のご利益もない駄念仏、いや堕念仏は、我々に何を突きつけるのか...

20XX年、広辞苑の改訂版には新語《在日日本人》が追加された。
ざいにち - にほんじん
① 日本に在住する日本人
② 地理的に日本列島に在住しているが、文化的・精神的な内実を失った名目上の日本人を憂う表現。

かつて殉国の烈士が「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国」と表した未来にそのまま足を踏み入れている苦々しさを、人々が言語化し始めた。

国土に「在る」が、文化に「在らず」。

一方で、歴史を掘り下げるほど浮き彫りになるのは、島国の「自然」に圧倒され続けたきたが故の、日本人の流動性。

地震と津波が何もかもを飲み込み、土に、海に帰していく...すべては人知の及ぶところではない、という無力さが、日本人に「主体性」と「一貫性」を諦めさせた。

しかし、その儚さと諦念を「粋」に昇華してきたのも、また日本人ではないか。

かつて畏れられていた自然の猛威は、いま人工知能という新たな装いで我々を洗い流していくのかもしれない。

それでも水のようにしなやかに、変容し続ける我々を、我々はどう肯定できるのか。

「抜け目なく、ニュートラル」でいることに慣れ切った我々が、いま一度AIに洗濯され、生き方の選択を迫られているのだろう。

 We become anything. ―我々は何にでもなってしまう。
 Yet we can be anything. ―いや、我々は何にだってなれるんだ!

この演目が最後に投げかけるメッセージから、それぞれの未来に想いを馳せていただければ幸いです。
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